譲れないライン

譲れないラインがあり、譲ってはいけないラインもある。どれだけ知らなかった現実に驚かされようと、そっと見守っていた方が良い事って多いからね。逆の立場だったら、絶対に自分もそうして欲しいと思う事。今までがそうだったし、今回もそういうものだろう。何がどうこうって言うよりも、考えるよりも先に行動を起こしている事。でも、どこかに戸惑いがあったのは本当の話。珍しい状況ってのは戸惑わせるには十分。何も無いからこそ、無いものがある。そのラインを越えてしまえば後いくらはみ出そうと、気にならないもの。だからこそ踏みとどまりたい時があり、思い切って踏み出したいと思う時がある。境界線上をふらふらするって面白い。そこを越えるか越えないかのスリリング、この境界線の幅は結構太い。この太さが自らの懐の深さみたいなものだろうか、思いっきりつっぱしる限界圏がこれなんだろう。時にそれをかき消す瞬間もある。あまりそいつに名前を付けたくは無い、ただあるだけの存在で良い。確かにあるのだろうから、様々な創造者がそれを創り出そうとしている。創造されたものは、伝えると言う能力を持っている分、そしてもっともっと深い所で創造したものを越える瞬間がある。楽をするために、自らの能力を肩代りして自適に暮らすために様々なものを産みだし続ける。望むべき姿がそこにはある。多くのものからエッセンスを抽出する。技術でカヴァ出来るものは考える以上に多い。全てのものが体系付けられる事によって誰にでも可能な事になって良く。本人の個性ってものの意味合いが少しずつ変化していく。いろいろな現代病が産まれる一要因かな。