性質と性格

性格と性質。己の力で替え得るものと、見に染み着いた自らはこうなんだと言い切る事。仕方無いなと思える事、どうしようも無い事と、より大きな人に成るために考えて行かなければ行けないこと。言いたい事と伝えたい事の大きな違い。会話は言いたい事があれば存在し得る。ただ、文章は手紙って形をとるとそうはいかない、言いたい事の中で何を伝えたいのか? これが見えなければ、単なる一人言、日記の延長線で、散文的詩的な世界。ある意味、俺がここでやっている事。伝えたいのではなくて、単に言いたい事をつらつらと書き連ねる。こういう文章は、手紙では絶対に出来ない。本質的なものを一緒にした文章は時々書くことがあるけど、見え方はまるで違う。その違いはあまりにも大きいはず。全てが正しいと思っている事と、全てが間違っていると思うことの間には大きな差は無い。自分が不幸だと割り切れる事は、ある意味幸せな事。あきらめに似た感情が走りはじめると、そこには何を存在し得なくなる。要求が全て通ると思い出したら、ちょっとわめくだけで、自分の中の正義感が満足するようならば、明らかなる子供。ある程度までは人は年齢と共に年を重ねていくのだろうけど、あるラインを過ぎると、経験で年を重ねて行く。その辺のラインは10代に成るか成らないかの辺りが当たるんじゃないかな。ふらっとそんな事を思い出していた。疲れる事もあれば、面白いなって思うこともある。己を隠しているのはいつもの事なのかもしれないけど、潰してまで変えて人とあたるのは、らしくない。ありたくない。自らがありたいと思う自分を目指してそれなりに邁進していく。センスなのかなぁ……あるのか、ないのか、無くても良いような気もするけど、欲しいもの。