少しずつ人が減ってきている。研究室に来た卒論生の数が、今日は半分以下。朝扉の前に立った時、今日何かあったかなぁと一生懸命スケジュールを思い出そうとしていたから。まぁ簡単に考えてしまえば、夏休みに入ったと言う事だろう。ここで生活していて休みって単語に新しい意味が加わりつつある。俺自身、行かずに部屋でペンを走らせ、計算問題達と格闘していても、全然問題は無い。だけど、とりあえず毎日自分の決めた時間に行っている。実質的に、いる時間は全体に対して見れば、ほんのわずか。大半が、研究室よりも高級なクーラを使っていて、資料の数が多く、外野が居ない静かな図書館でペンを走らせている。自分にとってもっとも集中しやすい空間、エネルギィの頂を使って、自分のしなければいけない事をこなして行く。今の所、この空間は事によって、時によって流動的。うまく使いこなして行ければ場所が自分の防具にもなる。もしかしたら武器にもなるかもしれない。最近の生活は完全に曜日関係無い生活を行っている。週末と平日との違いは食事をどこでとるかの違いでしかない。あとプラスもう一つの条件をクリアする事が出来れば、時刻に関係無い生活を送られる様になるかもしれない。あんまりしたいとは思わないけど……結局何がしたいんだろう? とりあえず、今のところ。一日に自分がやれるだけの事をやるので精一杯。なるようになれと思える位には毎日やっているつもり。こういう事って、例え自分だけの事とは言え、断定が出来にくいのが困りもの。この感じる手応えみたいなものが、どれだけそれに役に立つのか、全く判らないのだから。やっている事を長いスパンでみれば、いつかは必ず役には立つ。直接にせよ間接にせよ、何かは残る。でも、見ているものが見ているものだけに、ここで役にたって欲しいって所で役に立つのかどうかは、いつまでも不安が付いてまわる。評価されるのは、いつまでも、結果なのだから。他人の経過なんて評価出来ないし、自分の結果を自分で評価するのもナンセンス。こういう事の中で生まれて来た、しょうがない方法なのかな。