森博嗣『地球儀のスライス』

地球儀のスライス (講談社ノベルス)

地球儀のスライス (講談社ノベルス)

「小鳥の恩返し」"The Girl who was Little Bird"

作中で実際に経過した時間は驚くほど長い。なぜ驚くのか? 精神的な時間が殆ど経過していないからかもしれない。気持ちは固まったままで時だけは容赦なく流れつづけるそして気持ちが動き出したと感じた時この物語は終わりを告げる。こういうのも一つの恋の形。何を求める恋じゃない。自分をより素的にするわけでもない。ただあるだけの恋、いやこれは恋とは違うものなのかもしれない。執着とか妄想とか言う方が近いのかも知れない。この作者の魅せてくれる世界も俺は大好き!!

「片方のピアス」"A Pair of Hearts"

読前も読中も自分が幸せだと思える作品を書く作者がいる。タイトルの意味が力が読書前と読了後では全く違って感じられる、最後の一文の持つ圧倒的なパワー、読んだ瞬間に全てが伏線となりここに収束していく。双子のアイディンティティとか、愛の儚さや危うさだとか、こういうことも書いてはいるんだろうが、俺は信じる事の持つ力を感じた。読者の読み方によって信じた事によって、いったい何処からが本当で嘘なのかまるで違ってくる。そもそも本当とは何かとまで思い始め、突き詰めると最初の出会いから紹介からのそれも在りなんだと思わせる。そんな事を感じる作者の詩的な綴り方……。読中も読了後も自分が幸せだと思える作品を書く作者がいる。

「素敵な日記」"Our Lovely Diary"

気持ちが良い、とっても軽快だ! 全く別な視点で書かれ続ける一人称小説。場面転換は殆どない、その小説を読み進めるうちに引きずり込まれる一冊の日記を巡る物語、この話はミステリィと言うよりもファンタジィに近いノリがあるそれがとっても心地よい森博嗣の短編は「まどろみ消去」以来。短編、やっぱり面白い!

「僕に似た人」"Someone Like me"

似ていると言う事、違うと言う事、同じと言う事。何をもって、似ていると決め、違うと決め、同じと決めるのか? 同じ人を求め不可能に気が付く、違う人の淋しさを少しでも似た人で生めようとする。されど、どれだけ似ていても同じじゃない。空白部分を満たすすべは、似ている人では適わない。掌編小説が持つ奥深さ。

「石塔の屋根飾り」"Roof-Top Ornament of Stone Ratha"

シリーズものの短編。あらかじめキャラクタを知っているゆえに楽しめる面白さ。シリーズを読む度にその世界の事が少しずつわかるようになる。日常に潜むミステリィ。考えると言う事の楽しさ、正解と言うものは常に自分が納得出来るものの事。自分が認めたものはその美しさが際立って感じられる。人が人の思考と言うものに感動させられる。思い描く楽しさ。

マン島の蒸気鉄道」"Isle of MAN Classic Steam"

好きな作家の作品はやっぱり面白い今年も追いかけて行きたい作品達。今回のストーリィは犀川&萌絵だとは言いながらもかなり異色作なのかもしれない。この短編としての味わいがとっても嬉しい。謎を解く事云々よりも異国の地”マン島”の雰囲気がそこに臨んだ御馴染みのキャラ達の会話や思考が面白い。作中で提示された未解のクイズ。後で俺の考えが当たっているかどうか確認しておこう。

「有限要素魔法」"Finite Element Magic"

この短編に作者はこういうタイトルをつける。この感覚が堪らなく好きな俺。名前は要らない。小説のみに許される、幻惑的な叙述法を最大限に利用したストーリィ展開。最初はいまいち。何か不思議な感じを受けるが、ラストの1行で全てのシチュエーションが一点に収束する。その読後に何かが背中を走るような感覚。

「河童」"KAPPA"

芥川龍之介の同名小説を踏まえた短編。ラストの一文を読み終わって、また頭へ帰り、引用されている芥川の文章を目にした時、はじまりが終わりになる。最初読んだ時と同じ文章なのに、全くもって違って感じられる。去と決別し未来に向かう為に、過去と相対峙し、その時を見つめる。そうして人は新しい1歩を踏出す。

「気さくなお人形、19歳」"Friendly Doll,19"

主人公、小鳥遊練無のモデルになった人を知っている。このモデルになった人と実際に話した事は無いけれども、メールで何回か会話をしウェブにある文章は何度も読んだ。その人とこの主人公とどれくらい似ているのか、俺は知らない。全体的な雰囲気や思考の展開方法はとても似ているような気がしたが、これはまだ気がしただけ。これからはじまるVシリーズ、とても楽しみだ。

「僕は秋子に借りがある」"I'm in Debt to AKIKO"

短く儚い一生のうちですれ違うだけの人。出会ってコミュニケーションして、仲良くなる人。そしてそのどちらとも言い切れないけれども、自分の中に多大な影響を与えていく人。思い出す度にその人の幸せを願い、その当時の自分の心情を正確に、若干の脚色を加えて降りかえる。後悔でも落胆でもない、全く別の言葉の限界をしら示すだけにあるような複雑な感情。そんな感情を持っていると言うことはとっても幸せなことなのだ。思い出は忘れない、思い出す度深くなる。