客観を買う

真に純粋な客観性って言うのは存在しきれないのかもしれない……どんな事象をも客観的に判断しようと努力はするのだが、判断する人間が介在することによって何らかの主観が加わる、人間を介さずに判断する事は出来ない、例え機械に判断させようとしてもその機械に判断パターンを記憶させる段階で人間の考えが加わる。事象の存在が確率的にしか定められないのと似たような話なのかもしれない。こんな時の俺は決めると言う行動の貴さに改めて心を奪われる。今まで客観的尺度で決められていると思われていたものにも、人の手が入らざるを得ないのを知る日。こんな事を書いている俺だけど、主観が入る事を悪い事だとは全然思わない、むしろ歓迎すべき事かもしれない。それこそ自己同一性、自分が自分であるという証明なのだから。人が行う事は総ての事に名前が刻まれるのだ。だからこそ、そして、そのために……